中村一氏はNHK大河ドラマ「功名が辻」で山内一豊の親友として、よく登場する孫平次のことです。山内一豊よりは最初は出世は遅れ気味だったようですが、天王寺城で本願寺の一向一揆を破るなど、おもに大坂方面で活躍していたようです。
最終的には17万5千石の駿河府中城主、豊臣家3中老にまで引き立てられます。
そして、家康と三成の対立時には、家康側についたのですが、関が原の戦いの前に病死しました。息子の一忠は関が原の戦いで東軍に参加し、伯耆米子城主に遇せられます。
家康からは松平姓まで与えられるのですが、慶長14年に20歳で死去しました。
一忠には子がなかったため、中村家はここで断絶となってしまいます。
実子がなかったのに幕末で大きな存在となった土佐山内家とは大きな違いですね。
中村一氏の年譜
- 生年不詳
- 天正5年8月 天王寺城で堀尾茂助とともに本願寺派の一向一揆軍を破る
- 天正12年5月 和泉岸和田城主
- 天正13年7月 近江水口城主(6万石)
- 天正18年7月 駿河府中城主(17万5千石)
- 慶長5年7月 死去