堀尾吉晴はNHK大河ドラマ「功名が辻」で山内一豊の親友として、よく登場する茂助のことです。
始めの頃は山内一豊に出世争いで負けていたようですが、天正18年には遠江浜松城主(12万石)にまで引き立てられます。この時、中村一氏(孫平次)は駿河府中城主(17万5千石)、山内一豊は遠江掛川城主(約5万石)となりました。秀吉が信頼できる3人の家人を家康への押さえとして、駿河遠江に配置したのでしょう。
堀尾吉晴は慶長5年に家督を子供の忠氏に譲り、隠居してしまいます。しかし、隠居料として越前府中城(5万石)を与えられ、豊臣家中老として、豊臣家を支えます。
関が原の戦いでは、堀尾忠氏は山内一豊らとともに東軍につき、お家安泰をはかります。
けれども、堀尾忠氏は27歳の若さで堀尾吉晴より先に死んでしまいます。堀尾忠氏の子、堀尾忠晴が家督を継ぎ、大坂冬の陣、夏の陣ともに参戦しますが、彼も寛永10年に35歳で死んでしまいます。
そして、堀尾家も堀尾忠晴に子がなかったために、断絶となってしまいます。
中村家といい、堀尾家といい、大名家を存続させるのは難しいものなんですね。
堀尾吉晴の年譜
- 天文13年生まれ
- 天正元年 長浜で100石
- 天正5年8月 天王寺城で中村一氏とともに本願寺派の一向一揆軍を破る
- 天正11年 若狭高浜城主(1万7千石)
- 天正13年 近江佐和山城主(4万石)
- 天正18年 遠江浜松城主(12万石)
- 慶長4年 家督を息子の忠氏に譲り、隠居料として越前府中城主(5万石)
- 慶長16年 死去