黒田官兵衛

戦国時代

黒田官兵衛(孝高、如水)は筑前福岡の黒田藩57万石の藩祖黒田長政の父親で、豊臣秀吉の軍師として有名な武将ですね。

黒田官兵衛は播磨の小寺家の家老で、小寺家の織田家への帰順を推進しましたが、荒木村重の謀反の時に、有岡城で1年間幽閉の身となり、以後、下半身不随となりました。

その後も豊臣秀吉の参謀として、高松城の水攻めや中国大返し、山崎の合戦などで秀吉を補佐しました。

秀吉政権誕生の最大の功労者であった黒田官兵衛ですが、その頭脳の明晰さと豪胆さから秀吉に警戒され、九州平定後に彼が得た領地は豊前中津12万5千石にすぎませんでした。

関が原の戦いの時も、浪人を集めて周囲の西軍を攻撃するなど、活発に活動しましたが、息子の黒田長政の働きもあって徳川家康が勝利すると、政治軍事の第一線から退きます。

 

黒田官兵衛の年譜

  • 天文15年(1546)  播州姫路に生まれる
  • 天正3年  織田信長と面会
  • 天正5年  羽柴秀吉傘下に入る
  • 天正6年  伊丹の有岡城に1年間幽閉される
  • 天正8年  播磨に1万石の所領を与えられる
  • 天正10年 備中高松城の水攻め、本能寺の変
  • 天正12年 播磨山崎城主
  • 天正15年 豊前中津城主(12万5千石)
  • 慶長2年  朝鮮梁山城を占領
  • 慶長5年  関が原の戦いに東軍として参戦し、大友吉統を撃破し、小倉城を奪取
  • 慶長9年  死去(享年59)

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